野﨑家について
製塩業で財を成した
野﨑武左衛門の民家
野﨑家は製塩業と新田開発で財を成した野﨑武左衛門がその気宇に合わせて天保から嘉永年間に次々と築いていった邸宅です。
敷地面積約3000坪・建物延床面積1000坪あります。長屋門を入ると、濃い緑を背景とした本瓦葺の主屋群が軒を連ねて美しく、6棟の土蔵が威風堂々と立ち並びます。表書院の庭園は枯山水で、お駕籠石とよばれる巨大な踏分石が配され、初夏にはサツキの花が咲き誇り訪れる人の目を楽しませます。
総じて、建物と庭園がこれほど創建のままに保存されている邸宅は稀であり、瀬戸内の代表的大庄屋建築と言えるでしょう。
昭和52年に岡山県指定史跡となり、平成7年に博物館登録、平成18年に国の重要文化財建造物に指定されました。
野﨑武左衛門について知る
野﨑武左衛門
(1789-1864)
Nozaki Buzaemon
野﨑家は清和源氏を祖として、かつては多田姓・昆陽野姓を名乗り、16世紀後半に児島郡味野村に居住するようになったと伝えられています。
武左衛門は足袋の製造販売で得た資本を投下して、味野村・赤崎村の沖合に塩田を築造し、両村の名をとって野﨑姓を名乗るようになりました。所有する塩田面積は約161ヘクタールに及んで大塩田地主に成長し、岡山藩の命によって福田新田約700ヘクタールの干拓事業も成功させます。これらの功績により大庄屋に取り立てられた武左衛門は、野﨑家の維持繁栄を願い遺訓として「申置」を遺しました。
野﨑武吉郎について知る
野﨑武吉郎
(1848-1925)
Nozaki Bukichiro
武左衛門の孫の武吉郎は、製塩法の技術革新や台湾での塩田開発、耕作地の集積をおこない家業を拡大させます。最盛期には塩田約330ヘクタール・田畑約600ヘクタールを所有していました。明治23年(1890)に岡山県選出の初代の貴族院議員に選出されると、県下の災害対策や塩専売制公布に尽くしました。また遺訓を尊重し、学校・慈善団体への寄付、野﨑育英奨学金の創設により洋画家の原撫松など多くの人材を輩出しました。
野﨑家だより
歴史、家屋・庭園、書画・什器など野﨑家に関連するものからテーマをきめ、
職員が調査研究した内容をまとめ、掲載しています。
また企画展示でわかったことも紹介しています。